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ノンフィクション、初版1988

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Just Another Kidトリイ・ヘイデンの『愛されない子』[訳注:原題Just Another Kidとは「その他大勢のなかのひとり」]は、その他多くの本のなかの一冊ではない。ページをめくるごとに、情緒障害、性、アルコール中毒、暴力、あらゆる種類の犯罪の秘密が白日の下にさらされるのに、読者はそこから、この世は愛情と思いやりに満ち、温かく、秩序のあるものになりうると確信して立ち上がる。この物語に登場する6人の子どもたちの選択性無言症、精神分裂症、自閉症、知的障害といった診断名からは、これらの子どもたちの憎悪の感情はほとんど伝わってこない。ある者はしゃべろうとせず、ある者はところ構わず便を漏らし、ある者は喚き、椅子の足で自慰行為にふける。読者は、いつ、そしてどのように彼らに変化が訪れるのかを切実に知りたいと思うのである。

そして6人の少年少女だけでは十分ではないかのように、ひとりの心を病んだ親が登場する。彼女の名はラドブルック。自閉症児、レスリーの母親で、恐ろしくエレガントで魅惑的、こぼれるほど美しいのに、実はアルコール依存症で、ふしだら。開いた口がふさがらないほど敵対的なのである。

この物語の核となるのは、ラドブルックとトリイのあいだに育つ友情で、愛には実に様々な形があることを読者に思い起こさせてくれる。ラドブルックはクラスの「その他大勢のなかのひとり」になりたいと願う。Just Another Kidというくだけた口調の原題に本書が伝えようとしている教訓がある。すなわち、人生の醍醐味は他の人との関わり合いや触れあいによって実感することにある。そして、この驚くべき教師の回顧録はお先真っ暗な仕事として退けられた、教育の中でも最も大変な仕事のひとつが、実は豊かで創造的なやり甲斐のあるものになり得るということを読者に確信させてくれるのである。

−ニューヨーク・タイムズ書評

執筆秘話

トリイはラドブルックのことを書こうとして、『愛されない子』を書き始めたわけではありません。子どもたちについて書くつもりで、ラドブルックについては、教室の助手としてしか含めるつもりはありませんでした。ところが書き進むうちに、トリイはこの本がラドブルックの話になってしまったことに気付いて驚きました。別のあらすじを買ったつもりが、このように話が違ってしまえば、出版社がいい顔をするはずはないという警戒心から、焦ったトリイは250ページの未完の原稿をその年のクリスマスに編集担当者に郵送し、このまま書き進んで良いものかどうかを探ろうとしました。幸いにも、「自然にできあがったこの小説」を誰もが気に入ってくれました。

あの人はいま

ダーキーは現在30代です。一人暮らしができないため、保護を受けながら生活しています。生活の場が職場ともなっています。

マリアナについては、消息不明です。

ラドブルックは頑張っています。彼女と2度目の夫は5年ほど前に離婚しました。彼女は現在15になる下の娘とニューイングランドに住んでいて、そこで小さなカレッジの教授をしています。彼女とトリイはいまでも親友です。このページに寄稿してもらうのはかないませんでしたが、彼女の人生と幸せにみなさんが関心を示してくれたことに感謝するとのことでした。また、みなさんがいつまでも本を楽しんでくれることを願っているそうです。

ジェラルディンについては、消息不明です。ただ、いまもって北アイルランドにいることだけは分かっています。

シェイミーは現在30代です。彼は北アイルランドでの生活に戻り、そこで公務員として勤めています。彼は読者に次のメッセージを送ってくれました。

こんにちは、ぼくは『愛されない子』のシェイミーです。

トリイのウェブサイトに寄稿を頼まれるなんて光栄に思います。あれはぼくの人生で非常に特別な1年でした。トリイのクラスに入ったとき、ぼくはとても混乱し、動転していましたが、あそこは落ち着けるというだけでなく、受け入れてもらえる特別な場所でした。もしあの年に安全に成長する機会を与えられていなかったら、再びベルファストの自宅に戻れることはなかったと思います。孤独でひとりぼっちだと感じたり、くよくよしたりしている人がいたら、誰であろうと励ましてあげたい気持ちです。この世には思いやってくれる人もいるのだということを知るのは大切なことです。ぼくは、それを経験する機会に恵まれました。他の人にも同じことを望みます。あきらめないこと。目をそらさないこと。やるだけの価値はあります。

シェモーナは現在20代です。彼女はいまでも米国にいます。広報の仕事をしていましたが、最近教師に転向しました。彼女は次のメッセージを読者に送ってくれました。

こんにちは。私は、すべての人に、問題なくやっていること、落ち着いて、いい人生を歩んでいることを知ってもらいたくて、こうして書いています。信じてもらえないかもしれませんが、教育の修士号をとったところです。いまは3年生を教えていて、本当に気に入っています。ボーイフレンドとは来年の春に結婚したいと思っています。あと、私の人生におけるもう一つの愛すべき存在は、ロニーという6ヶ月になるビルマ猫ちゃんです。

興味を持ってくれてどうもありがとうございます。みなさんがトリイのウェブサイトを楽しんでくれますように。
ラドブルックはいま、ニューイングランドにある小さなカレッジの教授です。2番目の夫とは5年ほど前に離婚しました。トリイとはいまでも親友です。

私は書くつもりがありませんでした。トリイに頼まれたとき、私の私生活が変な風に侵されるような気がしたからです。何だか、もう一度初めからすべてを認めるみたいで、それが今回は公然とやるというわけですもの。あの年はどれほどひどい状況にあったことか。ですからトリイにはこう言ったのです。私の好意だけお伝えしてねって。それなのに私ったらこのサイトを訪れてばかり(みんなはそうじゃない? そろいも揃ってメッセージボードにはまっちゃって!)。だけど、だいたいの場合、行き先は「私たちのページ」で、何度も何度も読み直してばかりいました。たぶん、もうそらで言えるくらいです。「シェイミー」や「シェモーナ」のメッセージを読み続けて、ずっと考えていました。「私もあそこに加わりたい」って。私があのクラスの一員として認めてもらいたいと思うのは、あれが「私のクラス」でもあったからです。

問題は、私が何を書いたらいいのか分からないということだと思います。他の人にはどういう風に聞こえようが、私たちのクラスを離れて以来、私はずっと幸せなキャンパーではありませんでした。私が「回復」して、問題のないすばらしい人間にまっしぐらに変身したと言うのは間違っています。そして、トリイがそれを期待しているとも思いません。彼女はいつも、誰かを治そうというのではないこと、私たちは各々が自分自身の回復に責任をとるのだということをはっきり言っていました。「責任」というのは、いまでも私たちが俎上に載せているテーマです。ですから、一連の本の読者に私が何か言うのだとすれば、「そこで踏ん張ること」がどれほど重要かということ、困難で辛い状況や、慣れていない考え方でチャンスをつかむのがどれほど大切かということ、そして「つながっている」ということがどれほど貴重なものかということになります。だって、私たちはみなまったく別々なわけで、それがひとつにまとまるのは、お互いを思いやるときだけなのですから。トリイには、私に対して念仏のように唱え続けた言葉がありました。そのことは、未だかつて彼女のどの本でも触れられたことはありません。そしてそれは一言でいえば、私たちのあいだに、癒されていく過程の私たち全員のあいだに起きていた状況に尽きるのではないかと思うのです。状況が悪くなるたび、人生はまるで価値がないように感じました。それに、次の変化はうまく乗り越えられないと決め込んでいました。トリイはいつも言っていました。「そうよ、大変よ。末恐ろしく大変だわ。だけど、「大変」というのは「不可能」というのとは違うの」と。そして、それがずっと私の座右の銘になっています。

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