著作

シーラという子

『シーラという子』は、初めから本だったわけではありませんでした。トリイはシーラと過ごした特異な時間を自分自身のために記録する個人的な物語としてこれを書きました。出版することを考えたのは、物語が完成してからでした。

『シーラという子』 はトリイの処女作で、出版を目指して投稿したのも初めてのことでした。物語そのものは、書き始めから書き終わるまでわずか 日間という非常な急ピッチで書かれました。トリイが 『シーラという子』を書き始めてからG.P Putnam’s Sons と出版契約を結ぶまでも、わずか 42日間でした。

『シーラという子』は、現在 28カ国語に翻訳され、一幕オペラ、日本語の人形劇、テレビ映画など、脚色版もいくつかあります。

タイガーと呼ばれた子

トリイは当初、 『シーラという子』 の続編を書きたいとは思っていませんでした。 『シーラという子』が出版されたとき、編集担当者は、トリイの教室を出た後のシーラの人生はとても過酷なものだろうから、これ以上は黙して語らないほうがいいと考えていました。トリイも 『シーラという子』を追い続けるのは難しいだろうと感じていました。なぜなら、 『シーラという子』は「一種のおとぎ話のようなもの」で、読者に、「その後も幸せに暮らしました」という印象を残したからです。続編によって、「現実の人生がいやと言うほど如実になる」のです。

トリイが重い腰を上げて『タイガーと呼ばれた子』でシーラからの挑戦について書いたとき、シーラは絶対書かないと思ってたと言って冷やかしました。

ひまわりの森

トリイが1980年にウェールズに住む友人たちを訪ねたときのことです。滞在していた石造りの山小屋で暖炉の前に坐り、お茶が入るのを待ちながら、トリイは地元の新聞を手に取り、ある記事を読みました。それは、第二次世界大戦中のナチの「レーベンスボルン」計画に関与したことがある地元の女性に関するものでした。トリイはその晩、「どうしても書きたいテーマがみつかった」とエージェントに書き送りました。そのまま4年の月日が経ち、『ひまわりの森』として結実しました。

トリイは、友人の山小屋周辺の環境をウェールズの地として描写しました。『ひまわりの森』の主人公である「マーラ」は実在の人物を下敷きとしているわけではなく、世代を越えたトラウマの問題を追求するために、トリイが作りだした人物に過ぎません。トリイは、『ひまわりの森』の読者が、そして書評家でさえもが、マーラが架空の人物であることを信じようとしない場合が多いという事実は喜ぶべきことなのか、屈辱的なことなのかよく分からないと言っています。

よその子

これは、トリイが再読できない唯一の本です。1日に20ページというものすごいスピードで書かれ、そのとき実際の授業でも忙殺されていたトリイには、原稿を読み返す暇もほとんどありませんでした。トリイは、「あの書き方は本当にまずかった」し、そのために彼女の物語が台無しになっているので、いまでは読むことができないと言っています。トリイはもう一度振り返って読むことができない理由をもう一つ挙げています。『よその子』は「一種の意趣返しになってしまった」のだとか。本の中でエドナとして描いた教師やメインストリーミング法[訳注:特殊児童を普通学級に戻す法律]に対する鬱憤をはらした格好になってしまったのだそうです。

「これを書いたとき、怒りがもうちょっと収まっていたら、もっといい本になっていたかもしれない」と彼女は言っています。

幽霊のような子

『幽霊のような子』を執筆する中で、トリイが特に取り上げたいと思った問題は、環境に適応できない行動を解釈する上で専門家が抱える難しさでした。『幽霊のような子』を執筆しているとき、トリイが心配したのは、悪魔のような宗教的虐待、多重人格障害など、様々な「当世風心の病」に答を見いだそうとする人が大勢出てくるのではないかという点でした。そして、専門家の立場から、正確な状況を判断することがどれほど難しいことか、偏見のために診断が左右されることがどれほどたやすいことかを示したいと考えていました。

『幽霊のような子』は、出版社を狼狽させ、書き直しのために差し戻されたトリイの初めての本でした。出版社が気に入らなかったのは曖昧な結末です。これは実話であり、フィクションではありませんから、トリイはもっとふさわしい結末を考え出すのに苦労し、長々しいエピローグを含めることで解決しました。そうなるまでに、15回も書き直さなければ受け取ってもらえませんでした。

『幽霊のような子』は、 『シーラという子』に次いで、トリイの本では2番目に人気の高い本になりました。5ヶ国でベストセラーになりました。

トリイは、ジェイディに実際になにが起きていたのか、いまだに確信が持てません。

愛されない子

トリイはラドブルックのことを書こうとして、『愛されない子』を書き始めたわけではありません。子どもたちについて書くつもりで、ラドブルックについては、教室の助手としてしか含めるつもりはありませんでした。ところが書き進むうちに、トリイはこの本がラドブルックの話になってしまったことに気付いて驚きました。別のあらすじを買ったつもりが、このように話が違ってしまえば、出版社がいい顔をするはずはないという警戒心から、焦ったトリイは250ページの未完の原稿をその年のクリスマスに編集担当者に郵送し、このまま書き進んで良いものかどうかを探ろうとしました。幸いにも、「自然にできあがったこの小説」を誰もが気に入ってくれました。

機械じかけの猫

こうして、トリイ・ヘイデンの最新小説は始まります。これは家族の交流、情緒障害、そして尽きるところ、創造性を扱った非常に興味深い研究です

9歳のコナーは「自閉症」と診断されて、児童精神科医、ジェームズ・イニスの遊戯療法室にやってくる。母親のローラは、超然としてつかみ所のない小説家で、息子をもてあましていた。農場主である父親は、ローラとの離婚騒ぎの混乱で、コナーに問題があるとは感じていない。

コナーの6歳になる妹、モーガナは、兄には本当に幽霊が見えるのだと言い張る。

ジェームズは、コナーは自閉症ではないと確信するにつれて、最初はコナーの「猫が知っているもの」の奇妙な世界に、ついでモーガナの「ライオンキング」という友達の話に引き込まれてしまう。

しかし、ジェームズが一番深く引き寄せられたのはローラの世界だった。最初、それは、寂しげで、どちらかと言えば気むずかしい女性の世界だったが、やがては彼女の空想の世界、すなわち、彼女が作り上げながらも、現実なのかそうではないのか理解しづらい日常生活を送る人々の光景と臭いに満ち満ちている世界に引き込まれていく。

これは、憑かれたように書かれた一筋縄ではいかない豊かな小説だ。思想家、とくに最後のページをめくった後に本について思いを巡らすことが楽しい者にとって、なによりのごちそうである。

-キャロル・ソーソン

檻のなかの子

トリイはケヴィンに取り組んでいた期間、並行してシーラやジェイディにも取り組んでいました。

『檻のなかの子』は久しくトリイのお気に入りの書でした。「『檻のなかの子』で、書くという声を自分のなかに見出した気がする」のだそうです。「『シーラという子』では、慰めにはならないほど私の若さが丸出しになっていたし、『よその子』は、できることなら一から書き直したいくらい」